「挑戦」への序章・・・「あんくるおじさん奮戦記」
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2005年ようやく明けた。
いよいよ挑戦だ。
強い心を持って、いざ!!
どうしようか?迷った。
迷った、迷った。
いい年をして恥をさらすのもいややし
「挑戦」もそうそうすんなりといく訳はないし
恥の上塗りもいややし
しかし
己がこんなことになってしまって、いざ動こうとしたときに困ってしまった。
何からどうしたらええのか、わからん・・・
きっとこのブログ「あんくるおじさん奮戦記」を残すことによって役に立つであろう事を信じて・・・
まさに清水から飛び降りる覚悟で綴る事にしました。
2003年(平成15年)10月13日午後11時37分
神戸市西区玉津町水谷 第二神明道路下り13.3キロポスト 第2車線。
わが人生、最大のピンチ・屈辱は、まさにこのとき起こった。
しかし、この時、わたしは、事の重大性にまったく気がついていなかった・・・
そう、この日、わたしと細君は、久しぶりに帰郷していた次女を西宮の下宿先にに送って帰るところであった。
明朝一番で授業があるためである。
以前、同様のことがあって、その当日の朝、早く起きて送っていったことがあるのだが、須磨の手前付近から停滞がひどいものになりだし、結局、須磨で降りて、一般道を抜け道抜け道しながら
なんとかギリギリで間に合った、という出来事があった。わたしも細君も当の娘も、皆ばたばたするのが嫌だったから当然の如く、前日の夜に送っていくという選択肢を何の躊躇もなく選んだのだ。
娘を送っていくときは、わたし一人の運転で送っていくときもあったが、ほとんどが細君と一緒で、わたしが行きを担当すれば、帰りは細君が担当する、というやり方をしていたのだが、この日は、行きが細君で帰りがわたしの担当であった。そうなると当然、隣のシートでウトウトということになり、この夜も相棒の細君は隣のシートでウトウトし始め、第二神明に差し掛かる頃になると熟睡状態に突入していた。
CDからは、小曽根のピアノがファンキーなジャズサウンドを奏でていて、とてもゆったりとした空間であった。ミッドナイトクルージング?てなわきゃないけれども、どちらにせよ急ぐ精神状態ではなかった。
だから、夜間とはいえ、スピードを出すこともなく、阪神高速は、走行車線を法定速度で走行。追越車線は、ビュンビュン、どんどん抜かされていく、というか取り残されていく状況であった。
ところが、第二神明に入ってから、どうしたわけだろ?
「ほんま、どないしたん?」と聞いてみたい・・・
気がつくと追越車線をかなりのスピードで走っている。
「なんでや?」
そういえば、走行車線を走行中、前をトレーラが走っており、わたしの時速80kmの車が、どんどんと近づいていくではないか。これは、かなり遅い!
なんの躊躇もなく、えぃ、とばかりに追越車線に躍り出た・・・
まさにそんな感じである。
いままで、ゆっくりとしていたのが、急に大変なことになってしまった。
心の蔵は、ドキドキ大量の血液を吐き出そうしてバッコンバッコンしているし、ルームミラーには後続の車のライトが悪魔の如く迫ってくる。前とは、かなり間隔が開いている。なんとかせねば・・・。
しかし、頭ん中では、早く元に戻さねば、左に入らねば、と思うが、たまたまトラックが数台繋がっていて入れない。
これが第一の負の条件。
というか、入ろうと思えば入れるのだが、「わが人生、マイペース、ルールブックはわしじゃ」と言うほど年寄りではないし、「ガンガンギンギン、イケイケー」の世代はとっくに過ぎている。
要するに中途半端なんですわい。
全身が硬ーくなってしまって衝動的にアクセルを踏んでしまっているわたしがそこにいた。
そう、団塊の世代ほど年行きでもないし、ほんま中途半端なんですわ。
さっきまでのまったりとしたミッドナイトクルージング何処へ行ってしまったのだ。
ところがところが、もう数分もそんな状況が続くと、ちっとは落ち着いてきて、バッコンバッコンも鳴りを収めてきているし、ルームミラーに映るライトも近づいてこないし、前との間隔も一定を保っている・・・
小曽根のピアノがまた、耳に入ってきた。
自分自身でも適応能力は決して低い方ではないと思っているが、また妙に頑張る世代でもある。
そういう、世代なんです。
今や、リストラ世代なんですが、決して決して。
これほど、時間を惜しまず、寝食忘れて働く世代もないです。
団塊の世代がそうですから、なんとかそれに遅れまいとする。かといって戦後世代ではないですから、モノもちっとはありましたし、世間もちっとは良くなってきた世代、そう昭和の20年代後半の世代です・・・
とまぁ、これくらいにして、話を戻しますと、
これが第二の負の条件。
相棒は、すやすやと寝息を立てている。
これから起きる大変な出来事。
あろうことか、我が人生最大の屈辱的大失態事件が、相棒もその取り巻きも全てを巻き込んでの大事件になろうことやとも知らずに、この時はすやすやと心地よいまどろみの中に我が相棒はおりました。
これが第三の負の条件。
細君は、安全運転の権化みたなもんで、ゴールド免許(モドキ)所持者。
数年前、独立起業して間なしの頃、修理訪問先のマンションから修理が完了して車に戻ってみると駐禁ワイヤーがガッチリとバンパーに。
「アイタァ!」
何回かの違反で一年来る前にゴソゴソと違反をかさね、点数がない。
そういえば、行きつけのおでん屋さんで保険屋のねーちゃんが点数ないってこのおでん屋のおかあに身代わりになっていうて、それも営業時間中にでーらいこというやっちゃなぁ、ってなことがあったなぁー、なんてことがわたしの頭を横切る。背に腹は・・・なんとかや、
しかしながら、さすが、これは参った。なかなか言うに言えんし、断腸の思いで言うた時の、細君のなんとも呆れた顔は忘れられん。
結局、これ以降、彼女もゴールドとは縁がなくなってしまいましたが、いやいやまっこと立派なゴールドです。
わたしが保証します。えっ、あかん、いや失礼しました。
この時、細君が起きていれば・・・、きっと走行車線を、ゆったりまったりした気分で、小曽根のピアノを愉しみながら、ちょっとした話しをしながら秋の夜長をクルージングしていたことでしょう。
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